一見すると秦制と周制の最大の違いは周が封建制を採用し、秦が中央集権を採用した点にあるとされます。しかし私に言わせれば、これこそが秦制と周制に対する最大の誤解なのです。周朝も実は最初から封建を望んでいたわけではありません。紀元前1043年の三監の乱以前、周はほとんど封建を行っておらず、春秋時代の大国の中で斉国だけがその前から封建されていたと推測されます。三監の乱後に初めて関東地域への支配力が弱いことに気付き、大規模な封建を開始したのです。...
いくつかの文章を読んだことがありますが、詳しく商と周の文明衝突について書かれたものがあります。私たちは数千年にわたって夏・商・周を「三代」と並称してきましたが、これは正当性の継承という視点です。大きな視野で見れば、商と周は王朝交替ではなく文明の衝突だった可能性が高い。ちょうど歴史教科書で北京原人を大きく取り上げるように、教科書を読むと自然と「現代中国人はこの土地の古代人類の子孫」と思いがちですが、実際には藍田人も北京人も私たちと直接の血縁関係はなく、彼らは消滅しました。...
「早商」と「晩商」という概念は現代考古学において生まれた、歴史上の商王朝の時代を説明するための比較的新しい用語だ。考古学的には、「早商」と「晩商」はそれぞれ「二里崗文化」と「殷墟文化」に対応し、政権の中心が鄭州二里崗商城にあった時期を早商、安陽殷墟に移った時期を晩商と区分している。早商(二里崗文化)はさらに二里崗下層(2期に分かれる)と二里崗上層(2期に分かれる)に細分化され、晩商(殷墟文化)は1~4期に区分される。...
山を見て山と思うのは、我々凡人が修行に入る前の状態だ。感覚と概念の中で生きてるってこと。例えば昼に大根を食うとする。大根って植物の根っこだろ?親や先生から「この白い根っこは大根だ」と教わって、丸い形を見て、切ったら白くて、辛味を感じる。その後も似たような丸くて白くて辛いもん見たら全部大根って呼ぶ。これが認知システムと現実世界の接続ってやつさ。...