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宋王朝は経済が過度に発達したため間接的に滅亡したのでしょうか?

財政支出の高止まりが宋を引きずり回し、インフレを弄んだことで宋は自滅した。さらに、宋の経済政策は開明的ではなく、唐と比べて見劣りし、民間経済の繁栄は経済法則の必然であり、政策とはほとんど関係なかった。まず北宋から。

華夏の歴史鏡鑑華夏の歴史鏡鑑

財政支出の高止まりが宋を引きずり回し、インフレを弄んだことで宋は自滅した。さらに、宋の経済政策は開明的ではなく、唐と比べて見劣りし、民間経済の繁栄は経済法則の必然であり、政策とはほとんど関係なかった。

まず北宋から。財政収入は主に三つの柱に分かれる:

 

  • 農業税:北宋は唐の徳宗の「両税法」を継承し、土地私有制を認め、面積に応じて定額課税。一般的に1畝(約0.4ヘクタール)あたり1斗(12.5斤、畝産量約300斤)、江南などでは3斗を徴収。両税収入は2000万~3000万貫。兵役はなくなったが、多様な雑税が残り、農民の負担は軽くない。農業税総額は5000万~7000万貫。

  • 商業税:商税制度を整備し、宋仁宗は「商賈通ぜずんば財用自ら困す」と述べた。税率2~3%、初期500万貫、中期1000万貫。低税率が経済繁栄を支えたが、民間は衣服・玩具など薄利の中下流産業に集中。

  • 専売収入:塩・酒・鉄・茶・香辛料・酢など上流産業を厳格管理。専売収入4000万貫(晩唐の2倍)。


農業税の詳細
 

項目

金額(貫)

備考

両税収入

2000万~3000万

地域差あり

雑税

3000万~4000万

名目多数

農業税総計

5000万~7000万

税負担率16.7~23.3%


商業税の詳細
 

時期

商税収入(貫)

物価指数(基準=100)

北宋初期

500万

95

北宋中期

1000万

110

専売収入の詳細

品目

収入(貫)

専売価格(斤あたり)

1500万

30文

1200万

50文

800万

80文


北宋初期の財政総収入7000万~8000万貫、中後期1.2億~1.5億貫(ピーク1.6億貫)。歴代王朝と異なり建国当初から重税で、漢唐を大幅に上回った。政府が上流産業を独占し、民間には薄利の下流産業しか残さなかった点で、商業振興は唐に劣る。

財政支出では軍費が最大。中央集権的兵制で120万兵を養い、軍費は歳入の80%超。蔡襄が指摘したように、禁軍1兵士の年間経費50貫、廂軍30貫、総計118万兵で4800万貫。前線経費・将校俸給を含め6000万貫に達し、戦時はさらに1000万貫増加。

官僚システムも肥大化。北宋初期官吏2.5万名(唐は最大2万名)、地方吏員20~30万名。俸禄支出1200万貫。軍と官僚の支出だけで7200万貫。戦争・公共事業・皇室経費などは別途。

宝元年間(1038-1040年)、西夏戦争で陝西地域の戦費が2000万貫から3300万貫に急騰。土地兼併が民変を誘発し、財政危機が表面化。范仲淹の改革失敗後、塩鈔制度導入で辺境軍費を軽減したが、過剰発行で塩鈔価値が暴落。王安石の新法も短期間で挫折。

北宋末期、歳入が支出の3/4しか賄えず、インフレ政策に依存。1102年蔡京が宰相となり、折五銭「聖宋通宝」を鋳造(2.5倍の通貨切り下げ)。1103年折十銭「崇寧重宝」を3億文(銅銭)・20億文(鉄銭)発行。市場流通量の1/10に達する大規模な通貨切り下げを実施。1107年再鋳造、1111年に折十銭を当三銭に再切り下げ(資産70%減価)。交子・銭引などの紙幣も暴落させ、民間財産を収奪。1126年、金軍侵攻で財政崩壊し北宋滅亡。

南宋は北宋体制を継承しつつ、人口7800万・耕地700万ヘクタールに縮小。歳入構造:

 

項目

金額(貫)

構成比

農業税

1500万

16.7%

地方上供

1500万

16.7%

専売収入

4000万

44.4%

商税

2000万

22.2%


歳出では軍費が突出。六大軍団20万兵で月200万貫(年2400万貫)、川陝前線40万兵で年3000万貫+食糧160万石。平時の軍政支出7500万貫(歳入の83.3%)。4回の北伐(岳飛・隆興・開禧・端平入洛)で財政赤字が常態化。

紙幣「会子」の乱発が加速:1161年1000万貫発行→1174-1189年2400万貫(25%減価)→1206年開禧北伐で1.4億貫(価値100文に暴落)→1234年3.2億貫(米価13倍上昇)→1247年6.5億貫(200文で草鞋1足も購入不能)。1262年「関子」導入も失敗。1279年財政破綻で南宋滅亡。

終始続いた財政の締め付けが持続的戦争を不可能にし、小規模戦闘では勝利するも大戦争で必敗。財政逼迫による焦土作戦が軍事戦略を歪めた本質だった。


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