西周時代、なぜ魯国だけが明確な紀年を持ち、他の諸侯国にはなかったのか?
『孟子』離婁下で孟子はこう述べている:「王者の跡が消え、詩が亡びると、詩が亡んだ後に春秋が作られる。晋の乗、楚の檮杌、魯の春秋は全て同じものだ。その内容は斉の桓公や晋の文公の事跡を記し、その文体は歴史書である」
『孟子』離婁下で孟子はこう述べている:「王者の跡が消え、詩が亡びると、詩が亡んだ後に春秋が作られる。晋の乗、楚の檮杌、魯の春秋は全て同じものだ。その内容は斉の桓公や晋の文公の事跡を記し、その文体は歴史書である」
これは晋国の『乗』、楚国の『檮杌』、魯国の『春秋』が同種の歴史書であることを意味する。中には斉桓公や晋文公のような覇者の事跡が記録されており、全て史書の性質を持つ。
ただし現存する文献では『春秋』のみが伝わっている。
しかし注意深い読者は気付くだろう:出土文献の中にも春秋戦国時代の編年体史書が2種類存在する。
そう、名高い『竹書紀年』と近年解読された『清華簡・繋年』である。
『竹書紀年』は魏襄王の墓から出土した。魏国はまさに三家分晋後に成立した国であり、同書の主要部分も『晋紀』とその後継となる『魏紀』である。
『清華簡』は具体的な発掘位置が不明だが、文字様式は楚国のものであり、『繋年』以外にも楚国初期の歴史を専門に記述した『楚居』が含まれている。
そこで『孟子』に記される魯・晋・楚三国の史書は、まさに『春秋』『竹書』『繋年』に対応しているように思われる。
よって私見では、『竹書』が晋の『乗』を原型とした史書であり、『楚居』+『繋年』が孟子の言う楚の『檮杌』である可能性を否定できない。
【関連史書対照表】
書籍名 |
対応国 |
出土状況 |
文字様式 |
内容 |
---|---|---|---|---|
春秋 |
魯 |
伝世文献 |
- |
斉桓公・晋文公の事跡 |
竹書紀年 |
晋/魏 |
魏襄王墓出土 |
晋系文字 |
晋紀・魏紀 |
清華簡・繋年 |
楚 |
出土地不明 |
楚系文字 |
戦国時代の編年史 |
清華簡・楚居 |
楚 |
同出土 |
楚系文字 |
楚国初期の歴史 |
孟子言及の乗 |
晋 |
現存せず |
- |
晋の歴史 |
孟子言及の檮杌 |
楚 |
現存せず |
- |
楚の歴史 |
このように考古学的発見が文献記録を裏付ける形で、古代史書の系統が次第に明らかになりつつある。特に竹書紀年が伝える「堯舜禅譲否定」の記述は、従来の儒家史観を覆す内容として学界に衝撃を与えた。また清華簡の文字資料は、戦国時代の楚文字研究に貴重な実例を提供している。