中国史における宋王朝の地位をどう評価すべきか
宋代に対して、中外の歴史学者は惜しみない賛辞を捧げている。例えば陳寅恪は「華夏民族の文化は数千年来の進化を経て、趙宋の時代に頂点を極めた」と述べ、鄧広銘は「宋代の物質文明と精神文明が到達した高さは、中国封建社会全体の歴史を通じて空前絶後と言える」と評した。ジョゼフ・ニーダムは「科学技術史において唐代は宋代に及ばない。宋代に至って中国の科学技術は頂点に達し、多くの分野で18世紀半ばの産業革命前のイギリスやヨーロッパの水準を実際に凌駕していた」との見解を示している。
宋代に対して、中外の歴史学者は惜しみない賛辞を捧げている。例えば陳寅恪は「華夏民族の文化は数千年来の進化を経て、趙宋の時代に頂点を極めた」と述べ、鄧広銘は「宋代の物質文明と精神文明が到達した高さは、中国封建社会全体の歴史を通じて空前絶後と言える」と評した。ジョゼフ・ニーダムは「科学技術史において唐代は宋代に及ばない。宋代に至って中国の科学技術は頂点に達し、多くの分野で18世紀半ばの産業革命前のイギリスやヨーロッパの水準を実際に凌駕していた」との見解を示している。
項目 |
宋代の数値 |
比較対象 |
---|---|---|
GDP総額 |
約260億ドル(1124年推定) |
当時世界の25%を占める |
人口 |
1億2400万人(12世紀初頭) |
当時世界人口の15% |
軍事支出比率 |
国家歳出の70%以上 |
唐代の30%から急増 |
科挙合格者数 |
年間約400人(11世紀平均) |
唐代の10倍規模 |
鉄生産量 |
年間12.5万トン(1078年) |
イギリス産業革命期と同等水準 |
火薬兵器使用事例 |
1126年開封防衛戦で初実戦投入 |
ヨーロッパより200年先行 |
しかし宋代への批判も少なくない。「積貧積弱」は多くの人々の第一印象であった。銭鐘書は宋代の領土を「三尺の行軍ベッド」と皮肉り、『狼図騰』の姜戎は靖康の変が八国連軍侵攻以上の屈辱をもたらしたと主張する。現代人が古代中国の繁栄を語る際、漢唐を称える一方で、宋代は経済文化の繁栄と脆弱な軍事・屈辱外交が共存する「偏った優等生」と見なされがちである。
漢・唐・元・明・清と比較すると、宋代を「大一統王朝」と見做すことには疑問が残る。遼・夏、後に金・夏との鼎立状態が続き、遼金の実効支配領域は宋代を上回った。軍事的優位を確立できず、領土統合の面で前後の王朝に及ばない。大中華の視点から見れば、宋代300年間は分裂が主流であり、真の「大一統」は達成されなかったと言わざるを得ない。
それにもかかわらず、教科書や日常会話では「宋元明清」と並称され、多元的政権併存の史実が宋代に集約される。政治制度・社会経済・思想文化において、宋代はこの時代の中心的存在として代替不可能な影響力を発揮した。当時世界最富裕で最先端の国家として、対峙した遼・金・西夏も、友好関係の大理国も、宋代の先進的制度文化を無意識に模倣・移植した。長期的視野で見れば、宋代が後世に残した制度的・思想的遺産の影響は計り知れない。ハードパワーに欠陥があっても、ソフトパワーにおいて比類なき存在であった。
中華民族の偉人列伝を振り返ると、范仲淹・包拯・司馬光・李綱・岳飛・文天祥など、人格的偉大さと道徳的光輝で後世を照らす人物が他時代より圧倒的に多い。士大夫が最も重視された時代に文人の自覚意識が急成長し、理想的人間像が形成された。精神史的観点から、宋代は中国史上最も重要な王朝であり、現代中国人の精神的品格形成に今も影響を及ぼしている。今日宋代を顧みる時、輝かしい遺産と痛切な後悔、希望と苦悩が交錯する姿が浮かび上がる。完璧ではないが、真実味と興味を尽きない魅力こそが宋代の本質なのである。