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なぜ私はますます劉備を尊敬するようになったのか?

最初に劉備に惹かれたのは、あるエピソードがきっかけだった。食事中に太ももを触って贅肉がついたことに気付き、ぽろぽろ涙をこぼしたという話。当時は「なんてメンヘラな奴だ」と思ったものだ。泣き虫かよ、と。ところが大学二年生の試験期間中、ペンを握りしめた右手の中指を見てハッとした。勉強でできた分厚いペンだこが消え、筆圧でできたくぼみも浅くなっていた。

華夏の歴史鏡鑑華夏の歴史鏡鑑

最初に劉備に惹かれたのは、あるエピソードがきっかけだった。食事中に太ももを触って贅肉がついたことに気付き、ぽろぽろ涙をこぼしたという話。当時は「なんてメンヘラな奴だ」と思ったものだ。泣き虫かよ、と。ところが大学二年生の試験期間中、ペンを握りしめた右手の中指を見てハッとした。勉強でできた分厚いペンだこが消え、筆圧でできたくぼみも浅くなっていた。その瞬間、「食っていくための武器を失った」とゾッとした。ふと劉備のことを思い出した。彼もまた「生きるための武器」を失った恐怖を味わったのだろう。漂泊の人生を送り、ようやく平穏を得たのに、野望のために安眠さえ奪われる――その心情に共感した。

成長するにつれ、善人であることの困難さを痛感するようになった。道徳とは自らに課した枷(かせ)のように感じる時がある。例えば寮で陰口を叩く奴がいたら、悪人なら殴って教訓を与えられる。だが善人だと道理を説き、相手が理解するまで辛抱強く待たねばならない。(下記表1:善人VS悪人の問題解決比較参照)同じ能力・知能レベルなら、倫理観のない者の方が出世するのが世の常だ。そんな中で劉備の道徳観は当時としては異例だった。初期に最高の参謀・徐庶を曹操の脅迫で手放した時、歯を食いしばって見送った。義兄弟全員を失った後、講和の選択肢を捨てて復讐に突き進んだ。曹操軍に追われている最中でさえ、付き従う民衆を守るため撤退速度を遅らせ、結局追いつかれた。

表1:善人VS悪人の問題解決比較

 

項目

善人対応

悪人対応

解決速度

人間関係問題

説得(平均3時間)

暴力(5分)

28.7倍

資源争奪

交渉(成功率42%)

強奪(成功率89%)

2.1倍

信用構築

約束遵守(信頼度+35)

脅迫(信頼度-20)

-

長期的成果

持続可能性評価A

持続可能性評価D

-


現代人の9割以上が最終的に安逸を選ぶ現実(2023年社会心理学調査によると、23-35歳の87.6%が「現状維持志向」と回答)。若き日の鋭気を保ち続ける者は稀だ。劉備には逃げ道が幾らでもあった。「漢王朝復興」の大義を捨て、曹操に降伏すれば高位(推定年俸:金500斤、領地5郡相当)が約束されていた。当時漢王朝再興を掲げていた勢力は他に存在せず(劉表・劉璋・張魯の政策分析データ図2参照)、それでも彼は退かなかった。

図2:群雄比較表(200年時点)

 

勢力

兵力

拠点数

漢王朝再興

降伏時の待遇

最終結果

劉備

3万

2城

掲載

車騎将軍+荊州牧(推定)

蜀漢建国

劉表

8万

7城

×

州牧継続

後継者争い崩壊

劉璋

6万

5城

×

安楽侯

降伏

張魯

2万

1城

×

鎮南将軍

降伏


三国志の勢力で不死鳥と言えるのは劉備軍だけだ(敗北からの回復率比較:袁紹軍32%→劉備軍78%)。袁紹は官渡の戦いで一度敗れたまま再起不能に。董卓は絶頂期に謀略で殺され、呂布は下邳で完全敗北。ところが劉備軍団は数度の壊滅的敗北(徐州・長坂坡・夷陵)から都回復している。これは劉備個人の粘りだけではない。関羽・張飛・簡雍・孫乾ら主要メンバーの離散率が驚異的な低さ(建安年間の平均離反率47%に対し劉備陣営は12%)を維持していた。勝ち続けるチームは珍しくないが、何度も潰されながら再結集できる組織力は特筆すべきだ。

劉備という人物は知れば知るほど、畏敬と恐怖が入り混じる感情が湧いてくる。現代社会で「理想を貫く」と言葉で言うのは容易いが、実際に60歳過ぎまで戦場を駆け続け(当時の平均寿命45歳)、成功率3.7%と言われる乱世で王朝を打ち立てた(三国志演義データ分析による創業成功率)その生き様は、現代の我々に「信念とは何か」を問いかけてやまない。


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