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李清照と岳飛は同時代の人なのに、なぜ彼女は岳飛に一言も触れていないのか?

あなたが思い描く李清照:裕福な生活、夫の寵愛、子や孫に囲まれた貴婦人。豊かな才能を持ちながら、岳飛の抗金活動や冤罪による惨死を知りつつも筆を執ろうとしない。現実の李清照:現代の基準で言えば「五保戸(生活保護受給者)」状態。老いた体で江南各地を転々とし、物質的な生活さえ維持困難。親族友人も離散し、朝廷内部の事情は庶民同様に知り得ない。

華夏の歴史鏡鑑華夏の歴史鏡鑑

あなたが思い描く李清照:裕福な生活、夫の寵愛、子や孫に囲まれた貴婦人。豊かな才能を持ちながら、岳飛の抗金活動や冤罪による惨死を知りつつも筆を執ろうとしない。

現実の李清照:現代の基準で言えば「五保戸(生活保護受給者)」状態。老いた体で江南各地を転々とし、物質的な生活さえ維持困難。親族友人も離散し、朝廷内部の事情は庶民同様に知り得ない。その心理状態で詩を書くどころか、首を吊らないだけでも意志が強いと言える状況。

李清照(没年1155)の人生は、1129年に夫・趙明誠が城から逃亡した時点から「流浪」そのものだった。異郷を転々、悪人に騙され、投獄され、貴重な書画も盗まれる。親族友人は死亡するか消息不明。常人に降りかかる災難はほぼ全て経験したと言える。

【主要人物データ比較表】

 

人物

生年

没年

年齢差

関連事件

経済状況

李清照

1084

1155

19歳差

1129年趙明誠逃亡

晩年は極貧状態

岳飛

1103

1142

-

1142年冤罪で処刑

将軍として安定

秦檜

1090

1155

-

1131年より権力を掌握

莫大な富を蓄積


こんな物質的困窮と精神的苦悶の中で創作を続けること自体が奇跡。釜の蓋すら開けられない老婆が、朝廷政事を詳細に知る可能性は低い。岳飛との接点もなく(19歳年上は当時では親子世代差)、「謀反」という重罪事件の真相を把握できる立場ではない。

岳飛事件は即時平反されず、数十年間「タブー」化。関係者が次々粛清される中、張孝祥のような愛国詩人が父を牢死させられた事例も。秦檜父子は史書編纂を掌握し、岳飛関連記録を組織的に改竄。『1984』の「非人」宣告同様、公式記録から抹殺された。

「当時の史官が語るには『紹興8年冬以降、秦檜が国史監修を始めると、岳飛の捷報はことごとく抹殺され、功績の姓名すら記録されぬ例が数え切れぬ』(『金陀続編』巻21)」

生きている間から功績を消され、死後数十年経って旧部下の証言で再評価された岳飛。自分自身の生存さえ危ぶまれる孤老の李清照に、公式に「謀反人」とされた人物の冤罪を、情報不足のまま命懸けで訴えることを求めるのは、あまりに酷な話ではないか。


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