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清朝十二鉄帽子王の世系表

これらの鉄帽子王家は清朝の盛衰をそのまま体現する存在であり、各王家の浮沈は王朝史の縮図と言えます。特に清末期には、伝統的な軍功王家よりも恭親王・醇親王といった皇帝近親の王家が実権を握る構造が顕著になりました。

華夏の歴史鏡鑑華夏の歴史鏡鑑

清朝初期の功封八鉄帽子王

六和碩親王

和碩礼親王:代善(ヌルハチ次子)

 

世代

名前

在位期間

特記事項

初代

代善

1636-1648

清初四大貝勒。順治5年薨、乾隆43年太廟配享

2代

満達海

1648-1652

代善七子。順治8年巽親王に改称

3代

常阿岱

1652-1665

父の罪で貝勒に降格

4代

傑書

1659-1697

康親王に改称。三藩の乱で活躍

5代

椿泰

1697-1709

武術の名手として知られる

6代

崇安

1709-1733

雍正帝の信頼厚く帰化城防衛を指揮

7代

バルト

1733-1753

傑書四子。高齢での襲爵

8代

永恩

1753-1805

文人として著名。『嘯亭雑録』著者

9代

昭梿

1805-1816

学者だが臣下侮辱で廃位

10代

世鐸

1850-1914

軍機大臣として清末の政界を主導


和碩睿親王:ドルゴン(ヌルハチ十四子)
 

世代

名前

在位期間

特記事項

初代

ドルゴン

1636-1650

摂政王として絶大な権力。死後追奪、乾隆43年復爵

2代

ドルボ

1650-1651

養子。追奪後豫親王家系に復帰

復爵

淳穎

1778-1800

乾隆帝によるドルゴン名誉回復後の再襲爵

(※順治帝による廃位期間1651-1778は系譜断絶)


和碩豫親王:ドド(ヌルハチ十五子)
 

世代

名前

在位期間

特記事項

初代

ドド

1636-1649

明征服の最大功労者。順治6年天然痘で急死

2代

ドニ

1649-1661

信郡王に降格。雲南遠征の失策で減俸

復爵

修齢

1778-1786

乾隆帝による豫親王号復活


二多羅郡王

多羅克勤郡王:ヨト(代善長子)

 

世代

名前

在位期間

特記事項

初代

ヨト

1636-1639

成親王→克勤郡王追封

2代

ロロフン

1643-1646

衍僖郡王に改称

3代

ロコド

1648-1682

平郡王に改称。呉三桂討伐で功績

7代

福彭

1726-1748

『紅楼夢』作者曹雪芹の従兄

末代

宴森

1912-?

清朝滅亡後人力車夫に転落「車王」と呼ばれる


中後期恩封四鉄帽子王

和碩怡親王:胤祥(康熙帝十三子)

 

世代

名前

在位期間

特記事項

初代

胤祥

1723-1730

雍正帝の右腕。財政改革を主導

4代

載垣

1852-1861

咸豊帝顧命大臣。西太后により廃位

復爵

載敦

1864-1890

寧郡王家系から継承


和碩恭親王:奕訢(道光帝六子)
 

世代

名前

在位期間

特記事項

初代

奕訢

1850-1898

洋務運動の推進者。西太后と対立

2代

溥偉

1898-1936

清朝滅亡後も復辟運動を展開


和碩醇親王:奕譞(道光帝七子)
 

世代

名前

在位期間

特記事項

初代

奕譞

1872-1891

光緒帝実父。海軍衙門創設

2代

載澧

1891-1951

溥儀の父。清朝最後の摂政王

和碩慶親王:奕劻(乾隆帝曾孫)

世代

名前

在位期間

特記事項

初代

奕劻

1894-1917

清末の腐敗政治を象徴。袁世凱と結託


各王家の特徴比較表
 

王家

初代功績

世襲期間

政治的影响力

礼親王家

後金創業の功臣

1636-1912

宗室長老として儀礼を主導

睿親王家

清王朝入関の最大功労

1636-1650, 1778-1912

復爵後は儀礼的存在

鄭親王家

唯一の傍系王族

1636-1912

常に皇権と緊張関係

怡親王家

雍正帝の信任

1723-1912

改革派の旗頭

恭親王家

近代化政策推進

1850-1912

西洋外交の窓口


興味深いエピソード

礼親王昭梿は文人として著名でしたが、部下を鞭打ちする悪癖があり、ついに王位を失いました

睿親王ドルゴンの墓は順治帝によって暴かれ、遺体は鞭打ちされるという辱めを受けました

克勤郡王宴森は清朝滅亡後、先祖伝来の邸宅を売却し、自ら人力車を引いて生計を立てたことで「車王」とあだ名されました

これらの鉄帽子王家は清朝の盛衰をそのまま体現する存在であり、各王家の浮沈は王朝史の縮図と言えます。特に清末期には、伝統的な軍功王家よりも恭親王・醇親王といった皇帝近親の王家が実権を握る構造が顕著になりました。


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