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『竹書紀年』と『史記』、どちらの信頼性が高いか?

《竹書紀年》には二つの版本が存在する。現存するのは古本と今本で、古本は断片的に残り、今本は偽作とされる。古本は西晋時代に盗掘者が戦国時代の魏襄王あるいは安釐王の墓から発見したもので、唐代以降に散逸した。ただし唐代以前に多くの人々が目にしており、春秋時代の晋国史官と戦国時代の魏国史官による編年体通史であることが知られている。

華夏の歴史鏡鑑華夏の歴史鏡鑑

《竹書紀年》には二つの版本が存在する。現存するのは古本と今本で、古本は断片的に残り、今本は偽作とされる。古本は西晋時代に盗掘者が戦国時代の魏襄王あるいは安釐王の墓から発見したもので、唐代以降に散逸した。ただし唐代以前に多くの人々が目にしており、春秋時代の晋国史官と戦国時代の魏国史官による編年体通史であることが知られている。全13篇で黄帝から夏・殷・西周・東周春秋戦国までを記述。五帝時代は天子号、夏殷は王名、西周は王諡号、平王東遷後は晋公諡号、三家分晋後は魏侯王諡号で紀年される。

今本は明代に突如現れた二巻本で、古本との主な相違点は四つある。第一に紀年方式:黄帝から夏まで「帝某」、殷は王名中心、周は王諡号。第二に上古の重大事件記載の相違。第三に古本が簡古な文体なのに対し今本は古今混在。第四に古本が簡潔な記述なのに対し今本は『国語』『史記』『漢書』のような詳細記述と簡略記述が混在する。

 

表:古本と今本の比較
 

項目

古本

今本

紀年方式

五帝:天子号/夏商:王名/西周:諡号/東周:晋公諡号→魏侯諡号

黄帝-夏:「帝某」/商:王名中心/周:諡号

文体

簡古な文体

古代と近世の混交文体

記述密度

簡潔

詳細(『史記』風)と簡略が混在

現存状況

断片的(唐代以前の引用文で復元)

全二巻(明代出現)


清朝の考証学者たちは今本を偽書と断定。王国維は『今本竹書紀年疏證』で「引用元が多岐にわたり矛盾が多く、年月が杜撰」と指摘した。古本の復元は朱右曾『汲冢紀年存真』に始まり、王国維『古本竹書紀年輯校』、范祥雍『訂補』を経て方詩銘『輯證』が最も完備する。ただし復元された内容は網羅性に乏しく、網上の噂とは異なる。
 

表:古本復元主要文献
 

編者

著作名

成立年

特徴

朱右曾

『汲冢紀年存真』

嘉慶年間

初めての系統的輯録

王国維

『古本竹書紀年輯校』

民国期

朱氏の成果を発展させ学術的完成

范祥雍

『古本竹書紀年輯校訂補』

現代

新たな引用文を追加し詳細考証

方詩銘

『古本竹書紀年輯證』

1970年代

現存最完備の輯本


今本の史料価値については、偽作ではあるものの北宋以前の古籍から広範に抄録した「史料集」として利用可能。例えば夏啓即位(益を殺害)・伊尹放逐(太甲による暗殺)・共和行政(伯和の簒奪)など『史記』と異なる記述が注目される。ただし殷墟甲骨文で伊尹が歴代祭祀されていた事実は『史記』の記述を支持する。
 

表:主要事件対照
 

事件

『竹書紀年』記載

『史記』記載

夏啓即位

「益干啓位、啓殺之」

益が自ら譲位し諸侯が啓を推戴

伊尹放逐

伊尹が太甲を追放後、7年目に太甲が伊尹を暗殺

太甲が改心し伊尹が政権返還

共和行政

共伯和が王位を簒奪

周公・召公が共同執政

西周滅亡

幽王死後、虢公翰が余臣を擁立し「二王並立」

平王単独継承

年代範囲

黄帝~戦国(BC299年)

黄帝~前漢(BC97年)


歴史記録の信頼性については、歴史的枠組み(夏殷周の存在)は両書とも考古学と一致するが、個別事件の詳細は考古証拠で判断すべき。例えば甲骨文の発見は『史記』殷王朝系譜の正確性を証明した。最近の歴史事例(レバノン爆発・北溪パイプライン破壊・マレーシア航空370便)でも真相究明が困難なように、古代史の細部は常に検証が必要である。
 

表:歴史研究の基準
 

区分

内容例

評価基準

歴史枠組み

王朝の存在・主要人物の実在・時代の流れ

考古学・文献の総合的一致

事件細部

権力闘争の経緯・人物の動機・年代の詳細

考古資料との整合性

史料価値

記録時期・情報源の信頼性・他史料との相互補完

多角的検証が必要


要するに『竹書紀年』も『史記』も歴史的枠組みにおいては信頼性が高く、細部の差異は考古学的検証を待つべきである。ネット上の極端な説(『史記』全面否定など)は学問的根拠に乏しい。王国維や范祥雍の輯本は市販されており、文言さえ読めれば実際の記述を確認できる。


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