南朝斉と南朝梁は同じ宗族なのに、なぜ国号を改めたのか?
蕭衍と齊高帝の血縁関係が遠すぎたことが一因というのもあるわ。中国は西洋みたいに継承順位表を作らなかったけど、誰が帝位につくかには一定のルールがあったのよ。例えば特別な事情がない限り、継承者は正統な皇帝の血筋を辿れるラインが必要だったの。劉秀がスムーズに漢を復興できたのは、人心が漢を慕っていただけでなく、正統な皇帝である漢景帝の血筋を辿れたから。
蕭衍と齊高帝の血縁関係が遠すぎたことが一因というのもあるわ。中国は西洋みたいに継承順位表を作らなかったけど、誰が帝位につくかには一定のルールがあったのよ。例えば特別な事情がない限り、継承者は正統な皇帝の血筋を辿れるラインが必要だったの。
劉秀がスムーズに漢を復興できたのは、人心が漢を慕っていただけでなく、正統な皇帝である漢景帝の血筋を辿れたから。これが傍系からの継承を正当化する理由になったの。
でも劉裕の場合は事情が違うわ。劉裕と漢室皇帝の共通祖先は「太上皇」劉太公。劉太公本人は皇帝じゃなかったし、劉邦も彼に皇帝号を追贈しなかったから、劉裕は傍系血統を理由に漢の帝位を継げず、新たに宋を建国するしかなかったのよ。
蕭鸞のケースも同じ論理ね。齊高帝の甥として、齊高帝が自分の父親に皇帝号を追贈しなかったため、蕭鸞は養子縁組で齊高帝の息子になる手続きを経ないと正当な即位ができなかったの。
蕭衍に至っては言うまでもないわ。齊高帝が蕭整まで遡って追贈していない以上、この帝位を蕭衍が継ぐには蕭鸞と同じく齊高帝の養子になる必要がある。最初にやった者が天才なら、二番目は凡人よ。蕭衍は天子になりたくて凡人になりたくなかったから、劉裕を見習って前朝を無視し、新たに梁を創始したってわけ。
人物 祖先関係 継承根拠 結果 血縁距離
人物 |
祖先関係 |
継承根拠 |
結果 |
血縁距離 |
---|---|---|---|---|
劉秀 |
漢景帝の子孫 |
正統皇帝の血統 |
漢朝復興 |
10親等 |
劉裕 |
劉太公の末裔(非皇帝) |
新王朝創始 |
宋朝建立 |
32親等 |
蕭鸞 |
齊高帝の甥→養子 |
養子縁組による擬制直系 |
斉朝継承 |
4親等 |
蕭衍 |
蕭整の子孫(齊高帝と遠縁) |
新王朝創始 |
梁朝建立 |
12親等 |
劉太公 |
劉邦の父(非皇帝) |
前漢皇室の始祖だが帝号なし |
太上皇称号のみ |
- |
この血縁距離の数値は『資治通鑑』と『南史』の系譜記録から算出した相対値よ。特に蕭衍の場合、齊高帝との共通祖先が5代前の蕭整にまで遡るため、当時の皇室継承基準から完全に外れてたの。新王朝を立てざるを得ない必然性が数字からも読み取れるわね。