城兵はなぜ梯子を倒さずに石を落としたのか?
城壁に梯子を架けて兵士が登るシーンは監督の想像でしかない。梯子を使った攻撃は小規模な奇襲なら可能だが、重兵が守る城壁への攻撃は自殺行為だ。何万の兵士を投入しても足りず、むしろ兵士が反乱を起こす可能性すらある。実際の城攻め戦では投石機による火力制圧が基本だ。
城壁に梯子を架けて兵士が登るシーンは監督の想像でしかない。梯子を使った攻撃は小規模な奇襲なら可能だが、重兵が守る城壁への攻撃は自殺行為だ。何万の兵士を投入しても足りず、むしろ兵士が反乱を起こす可能性すらある。
実際の城攻め戦では投石機による火力制圧が基本だ。西安や南京クラスの堅固な城壁は崩せないが、守備兵の士気を削ぎ、遠距離兵器を破壊できる。観光で西安城壁を見れば分かるが、あの厚さは前装式滑腔砲でも破壊不可能だ。
攻城兵器比較
兵器 |
射程 |
弾丸重量 |
---|---|---|
投石機 |
200-300m |
石弾重量90-140kg |
前装滑腔砲 |
1.2-1.8km |
砲弾重量8-12kg |
ウルバン砲 |
口径750mm、射程1.6km |
砲弾重量544kg |
火力制圧と並行して攻城塔を組み立てる。完成したら最精鋭部隊が乗り込み、水をかけ続けて火攻めを防ぐ。攻城塔が前進する間も投石機は攻撃を継続。守備側の弓矢は無力だが、投石機なら攻城塔を破壊可能だ。
攻城塔が城壁に到達した時点で、守備兵が鎧を着た精鋭でなければ城は陥落したも同然。「キングダム・オブ・ヘブン」の鍛冶屋が火炎でムスリム重装歩兵を倒すシーンは現実離れしている。当時の技術であの燃焼効果は再現不可能で、まるでナパーム弾を投げているようなものだ。
攻城塔進攻と並行して破城槌で城門を攻撃。立体的な攻勢で1ヶ所でも突破口が開けば城は落ちる。
守備側も城壁に兵を密集させず、投石機の観測要員を配置するのが常套手段。西安城壁の櫓は観測と防護を兼ねた構造だ。
火薬の発明後は東西で巨大砲が使用されるようになった。1453年コンスタンティノープル攻囲戦ではウルバン砲(口径750mm/砲弾重量544kg/射程1.6km)が使用されたが、3時間に1発の射撃速度では城壁修復が追いついた。
城の戦術的価値は防御だけでなく、時間稼ぎにある。攻撃側が無理攻めをせず包囲するのが基本で、歴史的に強攻で落とした例は少ない。
梯子攻城が成立する条件は厳しい:
-
守備兵が未訓練で防具不足
-
防御範囲が広すぎる(西安クラスの城なら1万以上の守備兵が必要)
-
攻撃側が数的優位かつ重装歩兵を保有
-
守将が心理的に脆弱か内通者あり
-
包囲する時間的余裕がない(援軍接近/兵糧不足/他戦線急務)
この状況下では簡易兵器で急襲をかけ、数的優位で突破口を開く。西安のような大城でも1ヶ所の櫓を突破されれば城壁制圧が可能になる。
名将が守る城は更に難易度が上がる。757年の張巡は市民を動員し、夜襲で攻撃軍を疲弊させた。合肥の戦いでは満寵が数十名の精鋭で孫権軍の兵器庫を焼き討ちしている。
攻城戦の損害比率は必ずしも攻撃側不利ではない。経験豊富な指揮官が重装備と攻城兵器を活用すれば、守備側より少ない損害で落城させる例は東西に多数存在する。1527年のパヴィーアの戦いではフランス軍が攻城砲で城壁を破壊し、1日で攻略に成功している。
籠城戦の誤解は「守備側が城に閉じこもれば安全」という点だ。実際は投石機の継続砲撃(1日300発以上)で士気が崩壊したり、河川を利用した水攻め(1590年小田原攻めで豊臣軍が実施)などの手段がある。歴史的に純粋な籠城で成功した例は援軍到着の場合に限られる。
効果的な城防衛は積極的な反撃が不可欠だ。夜襲(1晩に3回以上の偽装攻撃)、補給路遮断、攻城兵器の破壊などで攻撃軍を消耗させる。モンゴル帝国の襄陽包囲戦(1267-1273年)では守備側が5年間に渡り夜襲を繰り返し、攻城兵器300台以上を破壊した記録が残っている。
城壁のもう1つの価値は兵士の質を補完することだ。訓練不足の民兵でも、投石機の操作(1台あたり20人必要)や城壁修復(石材1個約200kgを1時間で設置)といった後方支援なら可能。野戦なら瞬時に壊走するような部隊でも、城壁があれば戦力化できるのである。