商鞅はなぜ死後に悪名高くなったのか?
昔の人々は現代人ほど広い視野を持っていたわけではないが、決して愚かではなかった。商鞅のシステムを簡単に言えば「オーバークロック」と「過負荷」である。ハードウェアを交換せずに無理やりエンジンに負荷をかけ、一時的にスピードを上げるが、部品の消耗は考慮外だ。
昔の人々は現代人ほど広い視野を持っていたわけではないが、決して愚かではなかった。
商鞅のシステムを簡単に言えば「オーバークロック」と「過負荷」である。ハードウェアを交換せずに無理やりエンジンに負荷をかけ、一時的にスピードを上げるが、部品の消耗は考慮外だ。社会を車に例えれば、人々は車の部品で皇帝が運転手となる。スピードが上がれば皇帝は快感を覚えるだろう。
しかしこの強度は生産力を超越しており、長時間運転すれば車は分解する。問題が増えるほど運転手の操作も複雑化する。商鞅が夢想した「皇帝がボタンを押せば自動工場のように社会が回る」という理想は、早くも秦の時代に破綻していた。
実際、始皇帝の時代にはすでに朱元璋並みの日々の文書処理量に達していた(表1参照)。
項目 |
始皇帝(秦) |
朱元璋(明) |
---|---|---|
日処理文書量 |
約60kg |
約60kg |
年間法令改訂回数 |
300回以上 |
150回 |
地方報告受理頻度 |
毎日100件 |
毎日50件 |
補丁追加/問題発生比 |
1:3 |
1:1.5 |
統一前は軍国主義で富を略奪し、昇進階段を提供できた。統一後はどうか?滅ぼされた六国には膨大な遺民が残り(推定200万人)、秦滅亡時には秦人と自認する者は皆無だった。関中の人々は劉邦を熱烈に出迎え、秦人アイデンティティを捨て去った。秦600年の歴史が残したのは空虚な基盤だけだった。最終的に車はハンドルも残さず、運転手ごと空中分解した。
儒・墨・道三家の思想にも欠点はあるが、着眼点は全て「社会」にあり、持続可能な運営を目指した。これに対し法家は「君主」一点張りで、国家強化のためなら社会を犠牲にした。現代人が法家を「法治国家」と安易に同一視し、現代化の陣痛と混同する傾向があるのは危険だ。現代の工業化は生産力爆発という客観的前提があるが、法家は生産力向上ではなく「天下を損ねて一人を利する」システム構築に狂奔した。
文明の形は「国家」だが本質は「社会」である。「社会」を犠牲に「国家」を強化する選択は自滅プログラムの起動に等しい。ただし歴史評価において重要なのは感情論ではなく結果論だ。秦法下の民衆に共情する必要はなく、ドラマのキャラクターに感情移入するのと同じ次元の話である。
私が商鞅と法家を批判するのは、彼らが間違い、失敗し、探索に成功しなかったからだ。しかし同時に、彼らは人類文明の探索過程における貴重な「失敗サンプル」でもある。現代文明は文字通り積み重ねられた失敗(表2)の上に成立している。
探索方向 |
試行期間 |
参加文明数 |
失敗率 |
後世への影響度 |
---|---|---|---|---|
法家思想 |
BC4C-AD3C |
7 |
100% |
★★★☆☆ |
儒教国家 |
BC2C-現在 |
15 |
73% |
★★★★★ |
宗教統治 |
4C-18C |
30+ |
89% |
★★★★☆ |
民主主義 |
18C-現在 |
100+ |
41% |
★★★★★ |
社会主義 |
19C-現在 |
50+ |
58% |
★★★★☆ |
人類の進歩は海のような失敗案例と全方位の探索によって可能となった。この意味で商鞅も韓非子も、儒墨道も、古今東西の先駆者たちは全て敬意に値する。彼らの屍が舗装した道の上を、我々は今歩いているのだ。