中国における墨家はなぜこれほど完全に消滅したのか?
墨家の衰退を一言でまとめると、「上部構造(政治体制)がなく、大衆基盤もなかった」ということだ!墨家がなぜ衰退したのかを説明する前に、まずなぜ墨家が春秋戦国時代に栄えたのかを話さねばならない。正確には、なぜ秦の統一後に衰退し始めたのかという問題だ。墨子の個人カリスマが強すぎた!
墨家の衰退を一言でまとめると、「上部構造(政治体制)がなく、大衆基盤もなかった」ということだ!
墨家がなぜ衰退したのかを説明する前に、まずなぜ墨家が春秋戦国時代に栄えたのかを話さねばならない。正確には、なぜ秦の統一後に衰退し始めたのかという問題だ。
第一に、墨子の個人カリスマが強すぎた!
墨子は『詩経』『書経』などの古典に通じ、儒学を学んだ後に独自の思想体系を構築。兼愛・非攻・尚賢・尚同・節用・節葬・天志・明鬼・非楽・非命という十大主張を提唱した。まさに易経界の京房のような自立した学派創始者だった。
第二に、墨家の主張が当時の社会条件に部分的に適合していた。
戦国時代、各国は「功績あれば賞を与え、能力あれば官職につける」制度を推進。墨子の「官に永遠の貴さなく、民に永遠の賤しさなし。有能な者を挙げ、無能な者を下す」という尚賢思想がこれと符合し、支配層の支持を得た。また兼愛・非攻・節用などは困窮する民衆の希望となり、上下両面で支持基盤を獲得したのだ。
戦国時代の社会条件 墨家思想との適合点
戦国時代の社会条件 |
墨家思想との適合点 |
---|---|
各国の尚賢政策 |
尚賢思想 |
戦乱による民衆疲弊 |
非攻・節用思想 |
身分制度の流動化 |
平等主義 |
しかし秦の統一後、墨家は急激に衰退する。その根本原因は「半軍事組織」という特性にあった。
墨家は「巨子」を頂点とする厳格な組織体系を持ち、規律は軍隊並みだった。『淮南子』には「墨子の弟子180人は皆、火の中へ刃へと赴き、死しても踵を返さず」と記されている。巨子の命令は絶対で、成員は全財産を組織に捧げ、死をも厭わぬ忠誠を誓った。
墨家組織の特徴 具体的事例
墨家組織の特徴 |
具体的事例 |
---|---|
巨子の絶対権力 |
腹黄享が息子を処刑 |
軍事技術の専門性 |
守城兵器の開発 |
法外の規律 |
秦の法律より墨法を優先 |
政治介入の積極性 |
非攻阻止のための実力行動 |
このような武装集団は統一王朝にとって脅威でしかない。秦は「天下の兵器を回収」政策で墨家の技術基盤を破壊し、組織を解体した。さらに致命的だったのが「天子選出」思想だ。
『墨子・尚同』篇は「天下の賢者を選んで天子とすべし」と主張し、世襲制を否定。これは支配階級にとって許容不能な思想だった。儒家が「君臣の礼」を重んじたのに対し、墨家の平等主義は体制そのものを揺るがす危険思想と見なされた。
思想比較 墨家 儒家
思想比較 |
墨家 |
儒家 |
---|---|---|
統治理念 |
選挙制 |
世襲制 |
社会階層 |
平等主義 |
階級秩序 |
組織形態 |
軍事集団 |
学問団体 |
統治者との関係 |
対立 |
協調 |
歴史的命運 |
消滅 |
国教化 |
さらに墨家は民衆基盤も脆弱だった。「兼愛」の理想は美しいが、飢餓線上の民衆には「他人を自分同様に愛せ」という要求は非現実的すぎた。儒家の「差等愛」の方が、現実の人間関係に適合していたのだ。
結局、墨家は「軍事組織として危険すぎ、民衆思想として非現実的すぎた」という二重の弱点を抱えていた。秦漢の統一帝国が成立すると、このような「危険思想を持つ武装集団」は排除される運命にあった。これが「上部構造なく、大衆基盤もなし」の真意である。