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歴史に名を残すことはどれほど難しいのか?

元末に四川を割拠した大夏政権は2代9年間続き、南は一時昆明を占領し、北は漢中を攻略した。後に明朝が大夏を滅ぼした際の行政区分は「総制府7、元帥府8、宣慰司・宣撫司25、州37、県67」と記録されている。しかしこの政権で現在までに考証可能な官吏の人名はわずか67名である。

華夏の歴史鏡鑑華夏の歴史鏡鑑

元末に四川を割拠した大夏政権は2代9年間続き、南は一時昆明を占領し、北は漢中を攻略した。後に明朝が大夏を滅ぼした際の行政区分は「総制府7、元帥府8、宣慰司・宣撫司25、州37、県67」と記録されている。

しかしこの政権で現在までに考証可能な官吏の人名はわずか67名である:

 

  • 太祖明玉珍、幼主明昇、太祖彭太后、幼主王皇后

  • 左丞相戴寿、右丞相万勝・劉楨、平章政事鄒興・呉友仁・莫仁寿・鄧元亨・鄒敬・丁世貞・蔡琳・兪思忠、参知政事竇英・徐汪・文彦彬・江儼・李文徳、左丞孫天祐、右丞劉仁・袁彬、中書省官馬文敬・明従叡・明従哲

  • 枢密使向大亨・張文炳、枢密院官明従政・明従徳・王元泰・朱鋪・鄧立・沈友才・李聚

  • 鑑院官周景栄・竇文秀・田継坤

  • 崇慶州太守尹善清、土司鄭彦文・楊鏗・安済・阿普・那者・楊正天・楊金奉・藹翠・田茂安・楊世栄・楊秀纂・芍徳・余思聡・楊琮・劉安・孫忠諒・張廷瑞・覃野旺・覃大勝

  • 状元董重璧・龐百里、宣慰使荊玉・商希孟、夔州守将姜珏、将軍王起岩、国子監祭酒劉諶、内府舎人明昭、書生馬服宗、女性韓娥


この中で19名の土司官は『明史』から推測されたもので、中書省官・枢密院官・鑑院官13名は明玉珍の墓誌碑文から補充された(名前のみで他の情報なし)。

つまり四川を12年間支配したこの政権で、実際に事跡が残っている人物は35名しか存在しない。

<データ一覧表>

 

項目

数値

存続期間

9年(2代)

最大版図

南は昆明・北は漢中

行政単位

総制府7・元帥府8・宣慰司/宣撫司25・州37・県67

確認可能官吏総数

67名

『明史』推定土司官数

19名

碑文補充官(情報不足)

13名

事跡確認可能人物

35名


特に注目すべきは、この政権で「丞相」クラスの高官が5名(戴寿・万勝・劉楨・鄒興・呉友仁)確認される一方、地方行政官の記録が極端に少ない点である。女性関係者では彭太后・王皇后・韓娥の3名が記録されているが、その詳細はほとんど伝わっていない。


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