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環状だった和氏の璧は、どうして秦の始皇帝の四角い伝国玉璽に彫られたのか?

世の中の誰もが、伝国璽は皇権の象徴であることを知っており、誰もがそれを手に入れたいと願っている。その神秘性を高めるため、伝国璽は和氏璧を彫刻して作られたという噂が流れ、後世の人々はこれを深く信じるようになった。しかし環状の和氏璧が、どうやって玉璽に彫刻されたのだろうか?和氏璧が有名になった理由は、その出現が伝説的な色彩に満ちていたからである。

華夏の歴史鏡鑑華夏の歴史鏡鑑

世の中の誰もが、伝国璽は皇権の象徴であることを知っており、誰もがそれを手に入れたいと願っている。その神秘性を高めるため、伝国璽は和氏璧を彫刻して作られたという噂が流れ、後世の人々はこれを深く信じるようになった。しかし環状の和氏璧が、どうやって玉璽に彫刻されたのだろうか?

和氏璧が有名になった理由は、その出現が伝説的な色彩に満ちていたからである。春秋戦国時代の楚で、ある和姓の農夫が田畑を耕している時、天辺から鳳凰が飛来するのを目撃した。鳳凰は空中で長く旋回した後、ある山に降り立った。当時、大勢の人々が集まったが、鳳凰は非常に機敏で、人が現れるたびに翼を広げて飛び立ち、再び人々が去ると玉石を咥えて戻ってくることを繰り返した。数日後、鳳凰は最後の鳴き声を残して去った。多くの人々はこの地が風水の宝地だと推測したが、山をくまなく探しても宝物は見つからず、時間と共に人々は散っていった。ただ一人、和姓の農夫だけが鳳凰が降り立った場所で「粗末な石」を見つけた。

この石は非常に醜く、外側の石皮を取り除いても光沢は見えなかった。しかし和氏はこれを宝石だと考え、昼夜を問わず懐に抱き、食事も忘れ農作業も放棄するほど執着した。数日後、両親は「宝なら楚王に献上し、富貴を得るべきだ」と助言した。和氏は「匹夫罪無く璧を懐くは其れ罪なり」との故事を思い返し、未研磨の璞玉を楚の宮殿に持参した。

楚王が玉匠に鑑定させたところ、普通の玉石しか知らない玉匠は偽物と判定した。怒った楚王は剣で和氏の左足を斬り落とした。人々は和氏を嘲笑したが、彼は新王が即位する度に宝玉を献上し続け、結果的に右足も失いながらも三代目の楚王の時代にようやく真価が認められ、和氏璧として彫刻されるに至った。

 

時代

事件内容

関連人物

結果

春秋戦国

和氏が鳳凰の降臨地で原石発見

和氏

両足切断

紀元前689年

第三代楚王が和氏璧を認定

楚文王

宝玉公式認定

戦国時代

昭陽に下賜後紛失

昭陽

趙国へ流出

紀元前283年

秦趙対立(完璧帰趙)

藺相如/秦王

一時返還

紀元前221年

秦始皇帝が伝国璽作成

嬴政

璽完成

8年

王莽が玉璽奪取

王莽

金補修

220年

三国時代孫堅発見

孫堅

袁術没収

907年

五代十国期に消失

-

行方不明


楚で誕生した和氏璧は、昭陽大臣に下賜された後戦乱で紛失し、趙国に出現した。秦王が「十五城と交換」を提案すると、趙の名臣藺相如は秦へ赴き、秦王の虚偽を見破り玉璧を守り抜いた(完璧帰趙)。しかし最終的に秦は六国を統一し、和氏璧は始皇帝の手に渡った。嬴政はこれを再彫刻し伝国璽としたが、環状玉璧から方形璽への変容には疑問が残る。

考古学的発見によれば、秦漢時代の印章は実用性を重視し小型(2-3cm)だった。竹簡に押印する実用性、戦時中の携帯性から推測すると、伝国璽も当初は親指大(約2cm)であった可能性が高い。しかし時代を経るごとに象徴性が強調され、明清期には大型化(10cm以上)し、宦官が補助する儀礼的様式へ変化した。

伝国璽は政権交代と共に流浪を繰り返した。前漢期に王莽が奪取しようとした際、太后が床に叩きつけて角が欠け、金で補修された(「金鑲玉璽」)。三国時代には孫堅が井戸から発見するも袁術に奪われ、南北朝から隋唐を経て五代十国期に完全に消失した。後世黄河や沙漠での発見説もあるが、真偽は不明である。

玉璽変遷データ比較表:

 

時代

材質

サイズ(cm)

重量

使用形態

秦代

和氏璧

2×2×2

約30g

腰佩帯

漢代

白玉

2.5×2.5×2.3

45g

硯台設置

唐代

青玉

3×3×3

80g

専用台座

明代

黄金

10×10×10

2.5kg

両手使用

清代

碧玉

12×12×12

4.8kg

補助者要


このように伝国璽は権力の象徴として様々な伝説を生みながら、その実態は時代と共に変容を遂げた。和氏璧の神秘性が人々の想像力をかき立てる中、その真実は歴史の闇に埋もれたままである。現存する最も古い玉璽(漢委奴国王印)が2.3cm四方である事実からも、初期の伝国璽が実用本位の小型印章であった可能性が窺える。しかしその象徴的価値は計り知れず、今なお人々を魅了してやまないのである。


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