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中国古代の支配階級はなぜ儒教思想を選んだのか?

単なる一方的な支配階級が儒教を選んだわけではなく、より重要なのは、中国歴代王朝が儒教のみを使用したのではなく「儒表法裏」の構造を取ったことにある。夏王朝は時期が早すぎて史料がほぼ存在しない。殷商は部族連合制で鬼神を崇拝した。

華夏の歴史鏡鑑華夏の歴史鏡鑑

単なる一方的な支配階級が儒教を選んだわけではなく、より重要なのは、中国歴代王朝が儒教のみを使用したのではなく「儒表法裏」の構造を取ったことにある。

夏王朝は時期が早すぎて史料がほぼ存在しない。

殷商は部族連合制で鬼神を崇拝した。

西周は殷商の政策を廃し、周公旦らが礼楽制度を確立。儒教思想はこれを継承発展させた。

春秋戦国時代に諸子百家が登場。儒・墨・道・法四家を分析すれば後世の王朝がどの思想を採用したかが見えてくる。

 

墨家思想


まず墨家から。兼愛(差別なき愛)を主張し、人間の平等性認識において他三家を凌駕していた。しかし君主統治で平等を実現しようとする矛盾を抱え、組織は「巨子」を頂点とする擬似国家形態ながら墨子死後すぐに分裂。士大夫の現実的ニーズに偏重し将来性を欠いた。
 

道家思想


道家は無為を主張。当時の混乱を「人間の欲望過多」と診断し、欲望と達成感の根絶を提唱。全員を愚民化する思想(支配階級含む)を初めて提示したが、法家がこれを発展させる。欲望減少→過ち減少という理屈だが、上古への回帰は現実的でなく、支配層も民衆も受け入れ難い。人類発展の原動力たる達成感を否定する点で限界があった。
 

法家思想


法家の決定的特徴は「天下ではなく支配者への奉仕」にある。韓非子に代表される賞罰制度・権謀術数・愚民政策は後世においてむしろ強化されて実施された。支配階級にとって実用的な統治ツールとして発展を続けた。
 

儒教思想


儒教の核心は礼楽制度の継承にある。「礼」は君臣・父子などの階級秩序、「楽」は階級調和の手段。墨家と異なり「差別ある愛」を説き、士大夫階級に「学而優則仕」という明確なキャリアパスを提供。これが数千年にわたり文人階級の価値観を規定した。根本的な社会問題解決を掲げつつ実現困難な「理想論」であったのに対し、法家は対症療法ながら即効性を有していた。

春秋戦国時代、儒家を採用する国は稀で、商鞅・魏無忌・李斯ら法家が主流だった。秦王朝は言うまでもなく法家を採用(焚書坑儒)。

漢初に一時道家を採用した後、武帝の「儒教尊重」で表向きの地位を獲得するが、実態は法家統治が継続。その理由は「社会安定化」にあった――文人階級(社会発展の推進力かつ思想的不安定要因)を儒教で懐柔し、仁愛礼楽で階級秩序を維持。ただし支配階級内部では法家手法を堅持した。

これにより武帝以降、「儒を表層とし法を内実とする」統治システムが確立。下記の比較表がその実態を物語る:

 

区分

儒教の役割

法家の役割

具体的事例

教育システム

科挙制度による人材選抜

法律で官僚を厳格管理

唐代:進士科と『唐律疏議』併用

社会統制

「三綱五常」の道徳規範

連座制・密告制度の実施

明代:里甲制と錦衣衛の併存

経済政策

孟子の「仁政」を標榜

塩鉄専売で国家財政を掌握

漢代:董仲舒と桑弘羊の併用

軍事面

「義戦」の理念を掲げる

軍功本位の爵位制度

秦代:孟子排斥と軍功授爵制


このように表向きは儒教の美辞麗句で体裁を整えつつ、実務では法家の現実主義で統治する「外柔内剛」の構造が、紀元前2世紀から1912年までの中国統治システムの本質であった。


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