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古代の一般庶民は頻繁に肉を食べることができたのでしょうか?

古代の物価については長年研究が続けられており、実は肉は想像していたほど高くなかったことが分かっている。宋代を例に取ると、宋真宗の大中祥符年間(1008-1016年)、四川永康軍では肉1斤(約600g)が50文だった。宋英宗治平末年(1067年)、長安では「銭が多く物価が安い状態……豚・羊肉は三四十文で1斤」と記録されている。蘇軾は肥満の同僚をからかったエピソードを残しており、同僚が机に伏せているのを見て30文を机に投げ「さあ4両(約150g)の薄切り肉を出せ!」と言ったという。これは1斤あたり120文の計

華夏の歴史鏡鑑華夏の歴史鏡鑑

古代の物価については長年研究が続けられており、実は肉は想像していたほど高くなかったことが分かっている。

宋代を例に取ると、宋真宗の大中祥符年間(1008-1016年)、四川永康軍では肉1斤(約600g)が50文だった。宋英宗治平末年(1067年)、長安では「銭が多く物価が安い状態……豚・羊肉は三四十文で1斤」と記録されている。蘇軾は肥満の同僚をからかったエピソードを残しており、同僚が机に伏せているのを見て30文を机に投げ「さあ4両(約150g)の薄切り肉を出せ!」と言ったという。これは1斤あたり120文の計算になる。北宋末期、蘇軾が湖北黄州で官職に就いていた際には「黄州の豚は土のように安く、金持ちは食べたがらず、貧乏人は調理法を知らない」と述べている。

宋徽宗大観年間(1107-1110年)、ある大臣が「牛1頭の値段は5~7貫(5,000~7,000文)なのに、1頭から取れる肉は200~300斤。肉1斤を100文で売れば利益が厚く、人々は重刑を恐れず牛を屠殺する」と上奏した。これを受けて「病死した牛肉は1斤20文以下に制限すべし」と提案し、死んだ牛1頭から得られる収益を5貫程度に抑えようとした。

南宋寧宗時代(1194-1224年)、臨安府では豚肉1斤が90文省(割引銭)で取引され、皮と骨2斤2両(約1.3kg)の袋詰めが70文省、1斤あたり約30文省だった。「壮漢が食べられるのは38文分」という記述があり、38文の調理済み豚肉で成人男性が満腹になったことが分かる。宋理宗紹定元年(1228年)、湖南靖州では豚・羊肉1斤が80-90文で売られていた。

ただし高騰した例もあり、紹興末年(1162年)の平江府では羊肉1斤900文まで値上がりした。下級官吏の高公泗が『呉中羊肉価高有感』という詩で「俸給が薄いのにどうして買えよう。魚やエビで空腹を満たすしかない」と嘆いている。

水産物の価格推移を見ると、北宋中期に湖北の干物魚が江西で「1斤ほぼ100文」で取引され、宋徽宗時代(1100-1125年)の開封では黄河から運ばれた冬魚が「1斤100文以下」だった。北宋後期の沿海部では魚が山積みになり売れ残ると捨てられるほど豊漁で、台州では「魚肉1斤30文以下」という記録が残る。

 

南宋時代の水産物価格例:
 

時期

地域

品目

価格

備考

紹興年間(1131-1162)

杭州

海産物

土のように安価

10月の豊漁期

乾道6年(1170年)

黄州(長江)

100文で20人分

巨大魚が主流

淳熙年間(1174-1189)

曹娥江(両浙)

大鯉(7-8斤)

500文(1斤約60文)

漁師が直接販売

紹興20年(1150年)

秀州海塩県

鯨肉

1斤200文

座礁個体を切り分け販売

南宋中期

武昌近郊

100文で籠一杯

鮮魚の大量入荷

南宋

広州珠江

チョウザメ2匹

大(6尺)・小(4尺)400文

水上での即売

南宋

江陰

フグ

正月1尾1000文→2月100文

旬による価格差10倍

南宋

舟山

白蟹

100文で数十匹

大量漁獲による廉売


労働者の収入状況を見ると、河北滄州の果物売り女性は「1日数十文」、江西都昌県の寡婦は「洗濯・掃除で日収数十~百文」、四川嘉州の漁師夫婦は「日収最大100文」で生計を立てていた。洛陽の山岳地帯では「薪売りで日収100文」が標準的で、家族の生活を維持できた。淮西の日雇い労働者は「日給100文」を基準とし、余剰が出ると酒や肉を購入した。

都市部の例では、饒州で豚の血スープを売る業者は「日収200文以下」、平江府の鰻売りは「日収300文」だったが、これでも貧民層と見なされていた。北宋の李昭玘は「露天商の日収はせいぜい1日分の食費」と指摘し、南宋の記録では「庶民は日収100文をその日のうちに使い切る」とある。

政府の救済基準として、宋神宗熙寧2年(1069年)の開封では凍死者対策に「1人1日20文」、元祐2年(1087年)范祖禹の提言では「10文+米1升で生存可能」と設定された。宋徽宗大観2年(1108年)の湖北枝江県居養院では、101歳の老人に「1日30文省(肉+漬物)」が支給されている。


宋代の物価と収入の対比表:
 

分類

品目

平均価格(1斤)

日収(1人)

購入可能量

肉類

豚肉

50-90文

100文

1.1-2斤

羊肉

40-900文

 

0.1-2.5斤

牛肉(病死)

20文

 

5斤

水産

一般魚介

30-100文

 

1-3斤

高級魚

200-1000文

 

0.1-0.5斤

収入層

単身者

-

100文

肉1-2斤+主食

家族4人扶養

-

100文

肉0.5斤+雑穀

社会保障

極貧層支給額

-

10-30文

最低限の食糧確保


このデータから、単身者であれば日収100文で肉1-2斤を購入可能だが、家族を養う場合は食肉が贅沢品となる実態が浮かび上がる。都市部の飲食店で38文の調理済み豚肉が壮漢の一食分という記録は、外食産業の発達と低価格メニューの存在を示している。特に水産物に関しては、地域と季節による価格差が極端で、沿岸部では日収100文で数十匹の蟹が買える反面、内陸部では干物魚が高級品として扱われたことが分かる。

重要なのは、これらの数値が「公式価格」ではなく実際の取引相場を反映している点である。『宋会要輯稿』や各種地方誌の記述から、政府が物価統制に努めつつも地域間格差が大きかった実情が窺える。特に違法な牛肉販売が後を絶たなかった背景には、公定価格と闇相場の乖離があったことが推測される。


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