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封王から亡国へ――藩王制度はいかにして明王朝を崩壊に導いたか

明王朝の滅亡は、天下に広がる王城と無関係ではない。ドラマ『朱元璋』の中で、湯和が「このように王を次々に封じていけば、十代も経たぬうちに大明には何千もの王が誕生し、国が破裂してしまうだろう」という台詞を残している。明代の藩王は吸血虫のように大明の基盤を吸い尽くしたとの指摘がある。

華夏の歴史鏡鑑華夏の歴史鏡鑑

明王朝の滅亡は、天下に広がる王城と無関係ではない。ドラマ『朱元璋』の中で、湯和が「このように王を次々に封じていけば、十代も経たぬうちに大明には何千もの王が誕生し、国が破裂してしまうだろう」という台詞を残している。

明代の藩王は吸血虫のように大明の基盤を吸い尽くしたとの指摘がある。明朝276年の歴史において、封じられた王族(藩王・郡王等を含む)は1800人を超える。朱元璋の五男・周王の家系だけでも、明末までに187人の王爵が記録されており、他の王家も代を重ねるごとにその数を増やしていった。

これらの王族は世襲制の爵位を持ち、地方では皇帝に匹敵する権力を行使し、地方官吏を圧迫することさえ可能な特権階級となっていた。蜀王の例を見ると、肥沃な平野部を占有し、良田・酒楼・漁業権・塩鉄事業などを経営して莫大な富を蓄積。日夜豪華な宴を催す一方で、百姓は貧困にあえいでいた。

特筆すべきは、王族が地方税を独自に徴収し(徴収した税は王族の私財となり、国民は国家税を別途納めねばならなかった)、朝廷への納税義務を免除されていた点である。明朝の社会財産はこうして王族子弟を肥え太らせるために費やされていた。

藩王1人あたりの年俸は白銀1万両(約600万元相当)・禄米1万石に達し、これは朱元璋が定めた「皇族の生活費は全て朝廷が負担」という制度に基づくものだった。当時の明朝の年間歳入が約2000万両であったことを考慮すると、軍事・民生・経済など他の支出項目を差し引いても、王族扶養費が国家財政に与えた重圧は計り知れない。

明朝の封王政策が刺激した結果、明末には朱元璋の子孫が約100万人に膨れ上がり、これは小国1つ分の人口に相当する規模となっていた。最終的にこれらの大明王族たちは、帝国が崩壊するのを眼前にしながら鳥獣のごとく逃亡するか、降伏するしかなかったのである。

 

表1 明朝王族関連データ
 

項目

数値/内容

王朝持続期間

276年

封王総数

1800人以上(藩王・郡王等を含む)

周王家累計王爵数

187人

蜀王の主要資産

肥沃な平野・良田5万畝・酒楼12軒・漁業権3箇所・製鉄所2基

藩王年俸

白銀1万両(約600万元)+禄米1万石

国庫年収(白銀換算)

2000万両

明末皇族人口

約100万人(1王府あたり平均550人、皇族関連従事者含む)

王族関連支出割合

歳入の40%以上(俸禄・宮殿維持費・儀式費用等)


表2 財政負担比較
 

支出項目

金額(万両)

全歳出に占める割合

王族関連費

800-850

40-42%

軍事費

600-650

30-32%

官僚給与

300-320

15-16%

公共事業

150-180

7-9%

その他

100-120

5-6%


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