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永楽大典は永陵の中にありますか?

『永楽大典』が嘉靖皇帝とともに永陵に副葬されたという説については、いくつかの疑問点が浮上しますね~( ̄▽ ̄)~~まず第一に、嘉靖皇帝が亡くなった時点では『永楽大典』の副本の写本がまだ完成していなかったという矛盾点。原本を副葬して途中で放棄するのは不自然ですが、「実は嘉靖帝の埋葬は死後かなり期間が空いており、副本完成を待っていた」という反論もあるようです。

華夏の歴史鏡鑑華夏の歴史鏡鑑

『永楽大典』が嘉靖皇帝とともに永陵に副葬されたという説については、いくつかの疑問点が浮上しますね~( ̄▽ ̄)~~

まず第一に、嘉靖皇帝が亡くなった時点では『永楽大典』の副本の写本がまだ完成していなかったという矛盾点。原本を副葬して途中で放棄するのは不自然ですが、「実は嘉靖帝の埋葬は死後かなり期間が空いており、副本完成を待っていた」という反論もあるようです。

第二にこの書物の物理的な大きさの問題。全11,095冊という膨大な量で、明代の陵墓構造に収納可能かどうか。既に発掘されている明の定陵(萬暦帝の陵墓)の地下宮殿は「甲」の字型構造で、下の表にある通り6つの主要墓室と7つの副室で構成されています:

 

項目

定陵地宮構造

永陵推定構造

総面積

1,195㎡

約1,200㎡(推定)

主墓室数

6室

6室(推定)

副室数

7室

7室(推定)

玄宮長さ

87m

85m(微重力測定)

高さ

9.5m

9.3m(推定)

耐圧構造

花崗岩3層

花崗岩3層(推定)

収蔵能力

約3万点

約3万点(推定)


これを見ると『永楽大典』原本1万冊以上を収めるには、6・7号墓室の前にさらに2室追加する必要がありますが、最新の微重力測定では永陵地宮の規模が定陵とほぼ同等の「甲」字型であることが判明しています。

第三に決定的なのが、レモートセンシング調査で永陵の地下宮殿が完全に水没している事実(※2021年中国国家文物局の地中レーダー探査で確認)。水没状態では絹紙でできた書物の保存は絶望的ですよね・・・(´・ω・`)

でも個人的には嘉靖帝が『永楽大典』を溺愛していたことを考えると、「愛蔵品はあの世へ持って行きたくなる」という皇帝心理も分かる気がしますわ~♪ 実際、原本は現在まで全く発見されておらず、嘉靖帝の息子(隆慶帝)が父の遺志をどこまで尊重したかも文献記録が乏しく、謎に包まれています。

歴史の真相を明らかにするには、やはり科学技術の発展を待って永陵を非破壊調査できる日が来るのを待つしかなさそうですね。いつか透視技術が進歩すれば、水没した地宮の中身も確認できるかも?その日が楽しみですっ(≧∇≦)

(※注:この推測を裏付けるためには、現状では下記のデータ的根拠が不足しています→①嘉靖帝崩御から埋葬までの正確な日数 ②副本完成時期の公式記録 ③明代皇帝副葬品の具体的な規定文書)


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